だいすん の かんげきdiary

宝塚歌劇ファン歴3年目の初心者ですが、観劇の感想や思い出などを、徒然と書いていきたいと思います

七海ひろきさんの退団によせて〜バス停とタカラジェンヌ〜

12月の足音が、ジングルベルの鈴の音とともに近づく今日この頃。 ご無沙汰しております。だいすんでございます。

はやいもので、今年も残すところあと1か月。 親戚の子どもが大きくなるのと月日の流れは、ほんとうに早いものです。

「月日は百代の過客にして、行きかう年もまた旅人なり。」 俳聖・松尾芭蕉がのこした言葉のとおり、毎日は移ろう旅人のように通り過ぎてゆきます。

それは、宝塚歌劇団の生徒たちにとっても、同じこと。

7年にわたりトップ娘役を務めた愛希れいかさんもその任を終え、組長として月組を支えた憧花ゆりのさんも長いキャリアに終止符を打たれました。また、月組の若きスター・輝生かなでさんも、次回公演での退団を発表。

そして、星組七海ひろきさんも、この夢の世界から旅立つことを決意されました。

七海さんを含む星組退団者の発表があった、その日の夜、元星組真衣ひなのさんがブログを更新されました。

退団するきもち | 真衣ひなのオフィシャルブログ「ひなのまいく」Powered by Ameba

「退団するきもち」というタイトルで綴られたその記事には、真衣さんが退団を考え、悩み、そして決意するに至った気持ちについて、素直なことばで語られていました。

退団にまつわる心情をうかがい知ることって、なかなかないので、とても興味深く拝読しました。

その中で、特に心に残ったのが、彼女が在団中に感じていたという、ある感覚です。 それは、「バス停で並ぶ感覚」というもの。

宝塚とバス停・・・ 一見なんの関係もないように見えるこの2つの単語は、実は、厳しい夢の世界を歩むひとりの女性の思いを、如実にあらわすものでした。

先日(11月18日)の月組公演千秋楽で、元組長・憧花ゆりのさんがこんな挨拶を述べておられました。 「これからは、ひとりで歩んでいかねばなりません」と。

宝塚は、厳しい世界です。 同年代の少女がひとところに集まり、その技芸を競う。 その技量には成績がつけられ、それが舞台や写真の立ち位置にまで反映される。 たゆまぬ稽古と努力、めぐり合わせやタイミング・・・色々な要素が複雑に絡みあって、出世街道をのぼるスターがいて、一芸に秀でるスターもいて、若くして去って行くスターもいる。

私たちに夢をみせてくれる宝塚の世界は、少女たちが夢に憧れる場所でもあり、夢のもつ厳しさに向き合う場所でもあります。

そんな過酷ともいえる世界ですが、その反面、宝塚歌劇団は劇団員である生徒たちにとって安心できる場所でもあると思います。

怪我や体調不良などよほどのことが無い限りは、舞台に立つチャンスが保証されています。 所属する劇団があって、公演の機会と出演の機会が保証されていることは、舞台人としてとても恵まれた環境であるといえると思います。

憧花元組長がおっしゃっていた「ひとりで歩む決意」とは、そうした安全な夢の世界から、自由で厳しい世界へ踏み出す心境を表していたのかもしれません。

真衣さんの記事に戻ると、「バス停に並ぶ」というのは、安心できる場所・宝塚に居続けることを指しているのだと思います。 並んでいればいつかバスが来る。今来たバスには乗れなくても、待っていれば次のバスには乗れる。途中で列から離れる人がいれば、自分の順番は一つ前に進む。「待っていれば前に進める」という、非常に見通しのくっきりとした世界です。

公演のフィナーレで、タカラジェンヌは舞台上にズラリと立ち並びます。 センターにはトップスターが、その両脇にはトップ娘役と2番手がいて、それから上手下手に向かってそれぞれ学年順・序列順に並びます。 学年が上がれば(組内での立場が上がれば)、自分の立ち位置は次第にセンターに近づいていきます。 まるで、行列での立ち位置が次第に前へと進むように。

真衣さんの場合は、「違うのりものに乗ってみよう」。そんな気持ちが芽生え、退団を決められたそうです。

一度しかない自分の人生。 バス停に並ぶこと=宝塚に入ることを選んだ人生だったけれど、のりものは何もバスだけではないのです。 バイク、オートバイ、自転車、自家用車、ランニングしてもいいし、のんびりウォーキングしたっていい。 順路の決まったバスに乗ろうと思ってもいいし、バスを辞めて行き先は自分で決めてもいい。 人には人の、生き方がある。

今回、退団を決められた七海さんの胸には、どんな思いが去来してるのでしょうか。

タカラジェンヌを応援するファンは誰しも、自分の愛する生徒にはバスに乗ってほしいと思うものでしょう。生徒が技芸を磨きながらバス停で待つ日々を共に過ごすのですから。暖かい陽光がさす日にも、厳しい雨風が吹きすさぶ日にも、共に笑い、共に涙を流すのですから。 いろいろな時間や感情を共にしてきた間柄だからこそ、生徒がバスに乗らないと決意をする時には、さまざまな思いがこみ上げるものです。

「どうして」「なぜ」「もう少し待ってほしい」「今までよく頑張ったね」「これまで、本当にありがとう」

そのどれもが自然なこころの言葉でしょう。言葉にならない、胸をつく思いがあるでしょう。

大好きな生徒さんがバス停から離れるその日まで、千秋楽の最後の幕が降りるその瞬間まで、ともにバス停のそばで佇む我々は、いろいろな思いを抱えるのでしょう。

来年度には、105期生が初舞台を踏みます。 去る人がいれば、やって来る人がいる。 105期生の彼女たちはバス停に佇んで、どんな夢をみるのでしょうか。

えらくポエマー的な、とっちらかった記事になってしまいました。 ポエマーにならざるを得ないくらい、今回の退団発表に私自身、心が揺さぶられているのでしょうね。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。