だいすん の かんげきdiary

宝塚歌劇ファン歴3年目の初心者ですが、観劇の感想や思い出などを、徒然と書いていきたいと思います

辛く、厳しく、ややこしく 〜ジェンヌもつらいよ〜

ご無沙汰しております。だいすんでございます。

最近はもっぱらTwitterばかりで、すっかりブログがお留守になっていました。

今回は、ここ最近の宝塚やそれにまつわるエトセトラについて、なにかと思うところがありましたので、140文字には収めきれない心のうちをしたためようと思います。

突然ですが、この世の中は、清くも、正しくも、美しくもありません。 新聞やテレビでは、連日、事件や事故、欺瞞や不正が報じられています。

貧困、差別、戦争、ワンオペ育児、老老介護ブラック企業パワハラ、セクハラ・・・・・・

社会には解決しきれない問題が山積みになっていて、SNSでは色々な考えを持つ人が声高に意見を叫んでいます。

子どもの頃に夢見ていたような「バラ色の人生」なんてどこにもなくて、会社に行っても、学校に行っても、家庭にいても、楽しいことなんてごく僅か。辛かったり苦しかったりすることの方が多いような気がします。

「清さ」「正しさ」「美しさ」「努力はきっと報われる」「正義は必ず勝つ」

そんなものはすべて、厳しい現実の前では無力です。

けれど、そんな世間知らずの乙女じみた幻想を、モットーに掲げている人々がいます。 それが、タカラジェンヌです。

彼女たちが生きているのは芸能の世界。 一見華やかに見える世界ですが、私は芸能界というところは、この社会の縮図みたいなものだと思っています。清廉潔白で、希望に満ちあふれた夢のような世界などではなく、色々な人の思いや欲望、策略が渦巻いていても全く不思議ではない世界だと。 (もちろん、芸能界に入ったことはないので実際は分かりませんが)

ましてや、未婚の女性ばかりが集う集団です。 何も女性に限ったことではありませんが、集団になると人間関係の「ややこしや」な出来事っていっぱいありますよね。身近な集団(たとえば、クラス、会社の部署、ママ友関係など)を思い返してみても・・・・・・そりゃあ色々なことがあるだろうと思います。ジェンヌだって人間だもの。「ややこしや」なことは色々あるだろうことは、容易に想像できます。

私がタカラジェンヌを見て感動するのは、彼女たちが「辛く、厳しく、ややこしく」というホンネの部分を(少なくとも大多数のファンや観客たちには)隠して、「清く、正しく、美しく」というタテマエを貫き通してくれるところにあります。

ここでもう少し詳しく、宝塚歌劇団という世界の「辛く、厳しい」部分を見ていきましょう。

宝塚歌劇団は、読んで字のごとく「歌劇団」ですから、プロの舞台人として活躍する以上、芸を磨くのは当然のことです。というか、それが仕事です。舞台人ですから、私たちが仕事や勉強について評価・成績をつけられるのと同様、芸について批評・評価されるのも当然のことです。 「すべてが成績で決まる」という成績主義な劇団のスタンスは、究極の実力主義社会ともいえ、その中で生きるタカラジェンヌ達の精神的負荷は、想像するだに余りあります。

加えて、宝塚歌劇団のスタンスのうち、もう一つ特殊かつ残酷なところは、「タカラジェンヌとしての人生」そのものが売り物になっていることです。

ゆりかごから墓場まで」ではないですが、音楽学校に入学してから退団するまで、タカラジェンヌが歩む数年~十数年の道のりは、すべて観客に「見せる」ことが意識されています。その道のりを見ながら、タカラジェンヌが一人前の舞台人として成長していく過程を応援できることも、宝塚歌劇団の魅力の一つだと思います。

昨今、「トンデモ人事」と揶揄されるような出来事も多々ありました。 ファンの方々の心には、やりきれない思いや悲しみが訪れたことと思います。

ただ、とても残酷な言い方のようですが、そんな「トンデモ人事」も、タカラジェンヌとしての人生に箔をつけるためには、ある意味、必要不可欠な部分もあるのかもしれません。

「早期抜擢」「大器晩成」「苦労人」「悲劇の」・・・そんな枕詞がつくようなタカラジェンヌ人生であった方が、つかないよりは「オイシイ」のです。何らかのドラマがあった方が(良い意味でも悪い意味でも)、話題性は高くなります。

当然、ジェンヌ当人たちにとっては、そんなドラマ性や話題性のために自分の人生が左右されてしまうなんて、たまったもんじゃないと思います。なんと言ったって生身の人間ですから。悲しみもするし、傷つきもするし、怒りもするでしょう。

でも、タカラジェンヌとして生きるとは、そういうことなのです。 いわば自分の人生を切り売りするような、そんなお仕事なのです。 理不尽や不条理も織り込み済みのお仕事なのです。

それでも彼女たちは、自分たちのタカラジェンヌ人生は「清く、正しく、美しい」と言ってくれるのです。理不尽や不条理、周囲からの好意的あるいは批判的な評価の目に常にさらされながら、それでも、乙女の祈りのような言葉をモットーにしてくれるのです。

決して清くも、正しくも、美しくもない世界で、清く、正しく、美しい姿を見せようとしてくれている。 そんな姿に、私はパワーと生きる勇気を貰います。 そして、彼女たちはやっぱり「夢を売るフェアリー」なんだと思うのです。

どんなに辛くても、悲しくても、憤っても、舞台上では「清く、正しく、美しく」あろうとする。私は、そんな全てのタカラジェンヌに、頭の下がる思いでいっぱいです。

どうか、厳しく残酷な芸の道にあっても、少しでも心身ともに健やかに過ごしていかれますよう、心から祈りながら、また明日からも宝塚を愛し続けようと思います。