だいすん の かんげきdiary

宝塚歌劇ファン歴3年目の初心者ですが、観劇の感想や思い出などを、徒然と書いていきたいと思います

皇帝はつらいよ ~フランツ目線のエリザベート~

お久しぶりです。皆さまご機嫌いかがでしょうか。

だいすんでございます。

 

まず記事に先立って、このたびの西日本豪雨大阪北部地震、台風21号、北海道地震で被害に遭われた皆さまに、心よりお見舞い申し上げます。

一日もはやく、心と環境に平穏が訪れますことを、心からお祈りいたします。

 

_______________________________________

 

さて、ただいま宝塚大劇場では月組が『エリザベート』を絶賛公演中です。

トップ娘役・愛希れいかさんの退団公演であるうえに作品自体の人気も高く、チケ難中のチケ難でして、大劇場周辺の道路には、当日券の列を整備するための誘導シールがペタペタ貼られている状況です。

 

そんな『エリザベート』について、一言二言三言、語りたい!と思いがつのり、久しぶりのブログ更新となりました。お目汚しですが、ひとりよがりにしたためます。

 

_______________________________________

エリザベート』。

タイトル通り、この作品はエリザベートのお話です。

宝塚版では黄泉の帝王・トートが主役ですが、トートはエリザベートの心のある側面を映し出す存在でもあるので、トートとエリザベートの2人が主役ともいえます。

 

そんな『エリザベート』を、まずはあえてフランツを中心にして語りたい!

 

なぜ?という疑問のお答えとしては、美弥るりかさんのフランツの色気がすごいからとか、モフモフのお髭が意外としっくりきてるとか、色々理由はあるのですが、フランツ目線から見ると作品の時代背景がよく分かるから、というのがいちばんの理由です。

 

以下、皇帝フランツの「つらいよポイント」にそって、述べていきたいと思います。

 

  • 問題ありすぎてつらいよ

フランツが皇帝だったころのオーストリアは、なかなかにヤバイ状況でした。

エリザベートの寝室の前でドアにすがって「部屋に入れて~」と嘆くフランツの歌詞にもありますが、外交・財政・戦争・革命・チフスの流行と、とにかく問題が山積み。

 

重臣が謁見する場面でも戦争について歌われていますが、エリザベートとお見合いしていたちょうどその頃、クリミア戦争が勃発していて、オーストリアはロシアにつくべきか、それともイギリスやフランス側につくべきか立場を決めかねていました。

ゾフィーは「オーストリア皇帝は何も決める必要はありません!」とお見合いに行っちゃいましたが、実は決める必要が大いにあって・・・このクリミア戦争でどちらに味方するかはっきりさせなかったオーストリアは、ロシアからは恨まれ、イギリスやフランスからは遅れをとり、その後の外交において色々と問題が出てくることになりました。

 

また『エリザベート』の時代は『1789』のフランス革命より後の時代です。

ヨーロッパ各地では王が君臨する専制君主制からの自由化、民族としての独立を目指す気運が高まっていて、それはオーストリア領土内でも同様でした。

フランツが皇帝になる少し前の時代には、民衆の声におされて自由化に歩み寄る政策をとっていたのですが、民衆の抑えがきかず暴徒になったり、皇帝になったばかりのフランツが市民に暗殺されかけた事件があったりしたので、フランツは革命を厳しく弾圧する政策をとるようになります。

「息子は自由と叫んだだけなのに、死刑だなんて・・・」と死刑囚の母が嘆いたのも、こうした弾圧路線がしかれていたためだったのですね。

 

ただ、「だめ!」と言われると反発したくなるのが人間ですので、弾圧されればされるほど革命・自由を求める風潮は強まります。そのために、それを抑えるための軍隊にお金を費やし、また戦争もあったりして、国の借金はどんどん増え、臣民への税金はどんどん増え、ますます反発は強まり・・・フランツが皇帝だった時代のオーストリアは、まさしく冬の時代だったといえます。

 

 

  • 責任おもすぎてつらいよ

若くして皇帝になったフランツ。

エリザベートの部屋のドアにすがって嘆いていた時は、およそ25~28歳。アラサーです。アラサーが担うには、先ほどあげた幾つもの問題は荷が重すぎます。

 

「荷が重いなら、みんなの意見を聞けばいいじゃない?」と言いたくなりますが、そうはできなかったのがフランツの皇帝という立場。

 

 

先ほど書いたように、フランツは革命反対の立場でした。

「皇帝の地位は、神様から与えられたものだもん!」という立場をとっていました。

『1789』でアルトワ伯が「私は神だ!」と王家の血筋について豪語していますが、それと似たような考えです。フランツはマイルドな感じのアルトワ伯だったんですね。

 

神様から与えられた特別な立場だから、その権力は絶大でした。

軍隊の指揮権も、その他もろもろの大事なことの決定権も、すべて皇帝にありました。

自分の「許可する」「却下する」のひと言で、人の命も国の命運も左右されるのです。

フランツには皇帝としての義務を果たす自覚はあったと思いますが、そのストレスたるや想像するだにすごいものがあります。

そりゃあ、愛する妻のドアにすがって癒してほしい気持ちもなるほど納得です。

 

 

  • 母が強すぎてつらいよ

皇帝の立場は神から与えられたもの、と先ほど書きましたが、実はフランツにとって、この皇帝の立場は現実的には母・ゾフィーから与えられたものでした。

ゾフィーが前の皇帝と結婚して、その子ども・フランツが皇帝になった」のではなく、「ゾフィーがわが子・フランツを皇帝にした」のです。

 

フランツの前の皇帝は、ゾフィーの夫ではなくその兄、フランツの伯父にあたる人でした。

この皇帝は心身に不調があり、政治の実権は重臣たちが握っていました。

ゾフィーは伝統を重んじる人で、かつ「宮廷で生きる女性」としての意思力・行動力に満ちた人でした。彼女は皇家に嫁いだ女性の義務として、皇帝に実権が戻るように画策します。

自分の夫が皇帝には不向きだと思った彼女は、自分にも皇后になれるチャンスはあったのに、それを捨てて、自分の息子に皇位を継がせることに成功します。

「皇后の努めは自分を殺して、すべて皇家に捧げること」とゾフィーは歌っていますが、彼女の人生は自己抑制・自己犠牲の連続で、なんとも説得力があります。

 

そんな母がいなくては、フランツは皇帝にはなれませんでした。

自分を産み、そして皇帝の立場を与えてくれた母・ゾフィーは、フランツにとって神のような存在だったのかもしれません。

NOW ON STAGEのなかで、美弥さんはゾフィーに対して「恐れる感じがある」と言っておられました。神様を恐れ敬うような思いを、フランツは自分の母に抱いていたのでしょう。

 

ザコン皇帝」だなんだと言われていますが、エリザベートの初産のあとで妻とわが子にはじめて対面したとき、妻をいたわり、赤ちゃんをあやしながら、その場に居合わせたゾフィーに「これでいいですか?」と逐一確認するような視線を送っていたフランツの姿を思うと、強すぎる母の前でいつまでも「子ども」でいることの自覚を余儀なくされる、可愛そうな少年・フランツが連想され、胸がしめつけられる思いがします。

 

フランツがシシィを愛したことは、彼にとって、唯一の反抗だったといえます。

母からの愛は上下関係のある愛ですが、シシィとの愛はいわば対等な愛。

だからこそ、彼はシシィの愛をあれほどに追い求めていたのかもしれません。

 

_______________________________________

 

つらつらと書き連ねてしまいましたが、やはり声を大にして言いたいのは

美弥るりかさんのフランツは絶品

という事実です。

 

繊細な皇帝の感情がよく表れていて、ビジュアルがよくて、

ルドルフに対しての厳格さに君主の威厳が垣間見えて、お髭がよく似合っていて、

だんだんとモフモフしてきた頃に、最終答弁の場面で急にお髭がとれたりして、

フィナーレでは溢れんばかりの色気で踊っていて、「あの色気があったら、さしものシシィもなびいたのでは…?」と歴史が変わっちゃう予感をヒシヒシ感じたりできて。

 

 

もちろん、たま様トートちゃぴザベートも絶品たまらんですので、次回はトートもしくはエリザベートについて語りたいと思います。

 

 

ここまでの駄文・長文をお読みくださり、ありがとうございました。

 

 

ブログランキングに参加しています。 応援頂けましたら嬉しいです。 よろしくお願い申し上げます。 <a href="http://show.blogmura.com/takarazuka/ranking.html" target="_blank"><img src="http://show.blogmura.com/takarazuka/img/takarazuka88_31.gif" width="88" height="31" border="0" alt="にほんブログ村 演劇・ダンスブログ 宝塚歌劇団へ" /></a><br /><a href="http://show.blogmura.com/takarazuka/ranking.html" target="_blank">にほんブログ村</a>